雪を泳ぐ鯨

同じ船に乗りたいと思った。いくつか客室があってもいい。

違う部屋で過ごして、ただ同じ目的地へと向かう。

同じ空の下では、思想だけでは足りませんか。

 

刺激に対する慣れは感覚器官の麻痺や劣化。死んでしまった人。

 黙って、悪いことをしようと思った。いっそ復讐だと。

 

隠し切れない心について。独白めいた遺書を音読できるか。

音楽を言葉をぼんやりと内側に流し込むだけで歳を取ってしまう。

苦し紛れに書き残すのは端の端の、痛くない部分だけ。

 

美しい人に憧れた。心についての話をもっと聞いていたいと思った。

目を合わせなくても、知ることができてうれしかった。

誰とも、どこへも行けない。

 

誰にもこれ以上近づかないように、迷惑をかけないように、どうせ死ぬんだから死んだときに生じる感情の量を少しでも減らそうと。

心がけていた頃のほうがよっぽど美しかったのだろう。妄信だとして、結果として。

 

躓いたこと誰にも気づかれなくて恥ずかしかった。

忘れてしまわれているであろうこと、誰かの傷になってしまったこと、人の心の中にあること。失われてしまいたいこと。

 

心だけでは。

必要のない言葉をこねくりまわすことで、本当から遠ざかろうとしている。隠したいものはなにか。触れたくないものはなにか。それでも触れたいものはなにか。

 

愛しいと思う。それすら嘘だと知っている。私はどうすればいい。

 

心を振りかざしてひどいことばかりしてきた。

幕間

意識が頭の中の同じ箇所にとどまり続けているから、言葉も何も出なくなってしまった

答えを出したいわけではないのに問い続ける、免罪符のような自己卑下で仮初の安寧に身をゆだねる

 

にんげんのことずっと好きでいる。信じている。弱くても汚くても、愛おしいと思う

でも怖い。にんげんは私のことをあまり好きではない

 

怖いから生きていたくない。これ以上恥を重ねたくない。ありたい自分から、ひたすら遠ざかってしまった

逃げてきたのは私、みんなやさしく道を示してくれていたのに

 

なんにもしたくない。ぼやけていたい。それができないなら死にたい

笑えるくらい単純で、甘えていて、どうしようもない

 

心臓が潰されるような思いをしながら、後ろ指を差されながら、壊れながら、それでも生きていかなきゃいけないのか

そこになにがあるのか、わからないなんてあんまりじゃないか

 

海になりたい。ただそこにあって、疲れた人がたまに見に来るくらいの

やさしくない、やさしくない、やさしくない

11.

古い友人からよく連絡をもらった1ヶ月だった。

自分から人に声をかけることがほとんど無いから、思い出してくれる人がいることをありがたいと思う。

できるだけ本当のことを話すように心がけた。昔からはりぼてで着飾ってばかりだったから、すこしでも実際の自分で触れあいたかった。みんな見透かしていたのかもしれないけど。

 

すこしずつ話をして、すこしずつ記憶を辿った。思い出せること思い出せないことがあって、だいたい悲しくて寂しかった。悔しくて、それがバレないように笑ってばかりいた。

「さなぎみたいなもんだよね。中は暖かくて心地よくていつまでもそこに居たくなるけど、いずれ出て行かないといけないことをみんな知ってる」

腹を食い破られたさなぎは、土に還るのを待つだけなんだろう。

 

自分の中のどうしようもない空白を扱いきれなくて、困っている。

好きな人たちと居るのは楽しい。ずっとそうしていたいと思う。でも頭の真ん中に「最良の解決方法」としての死が居座り続けている。

やさしくしてもらうとうれしい。とても温かい気持ちになる。でも、芯の方に温度が伝わらない。

飛び降りた日のことを少しだけ鮮明に思い出した。落ちたあと、痛くて寒くて悲しかった。死にたくないとは思わなかったけど、一人きりで終わるのがたまらなく怖かった。

 

毎日嫌なことが積み重なっていく。いいことは押し潰されて見えなくなるのに、なんで悪いことだけ鮮やかに残るのだろう。

好意を貪って、人を踏みにじってまで、生きていたくない。

10.

やさしいほど口をつぐむしかなくなることを私たちは知っていて、弱虫ばかりが集まって息をするように言葉を紡ぐ。

傷つかないためにはよわくよわく触れるしかなかった。それをやさしさと呼ばれて胸が痛かった。

 

あなたに何をしてあげられるだろうか。

私の言葉はうそ臭い。心のまま触れ合えればとも思ったけれど、醜悪に過ぎる。

なんにもしてあげられないのかもしれない。

 

やさしくありたいと思えば思うほど、人から遠ざかるしかない。

それでも想ってしまうのは、私の弱さでしょうか。

 

海、ソフトクリーム、陽射しの強さ。

水族館のペンギンになりたかった。

9.

繰り返すだけ

あまり覚えていない

感じる心が不足している

春は得意ではない

 

悲しいとき、辛いとき、感情がすべてを覆い隠そうとする。

他人にしがみつくことを自分の中で正当化してしまう。こんなに辛いんだからって。

それに抗うのが理性の働きだと思っているのだけれど、私のそれは極端に弱い。

想像力が足りていないのだ。人が痛むであろうことが分からない。

同じ部分に水滴を落とし続けた結果の劣化。

穴が開いて水が漏れるまで気づけないひと。

 

-

 

入院していたころは白湯ばかり飲んでいた。

外界から隔離された病棟。真っ白で観葉植物しか色のない空間。同室の患者たちは、言葉を失ったかのように静かだった。頭の中が忙しかったか、空っぽだったかどちらかなのだと思う。

談話室で見る再放送のドラマ。同年代の女の人、30代の男の人、おじいちゃん。誰かが居ない日は「今日は調子悪いみたいね」。

女の人は子持ちで自傷癖。オーバードーズでたびたび運び込まれていて、ICUの看護師さんはみんな顔見知りになってしまったらしい。お互いに踏み込まないように気をつけながら、一番よく話していた。金髪の若い旦那さんが仕事終わりに毎日お見舞いに来ていて、大変だなって思ってた。

男の人は飛び降り。12階からで助かったのも奇跡だって。背骨を折っていたようで、リハビリ中。下ネタが好きで、看護師さんを口説いては苦笑いされてた。彼とくだらない話をするのは嫌いじゃなかった。新婚で子供も生まれたばかりなのに、入院中に離婚についての話し合いをしていた。

おじいちゃんはきっと躁鬱。ダイソーの100円本をネタに、女の人にかまってもらっていた。寂しかったんだと思う。私にはあまり話しかけてこなかったけど、おじいちゃんが来ると談話室から人がいなくなってしまうので、あまりいい感情は持たなかった。

看護師さんとも少し仲良くなった。未成年なのに喫煙室に潜り込んでいたから叱られたり、当時流行っていた硫化水素での自殺は死体が汚いからやめた方がいいよって言われたり。

 

みんなが一定の距離を保って、触れ合わないように気を遣っていた。

 

同室の男の人の家族が面会に来ていた。お嫁さんは泣いていて、小さい女の子が居た。

少し日が経ってから、その人に初めて話しかけられた。

「あなたはどうしてここに?」

「いろいろあって、飛び降りて」

「そうですか、私は農薬を飲んで」

おかしな会話もあったものだと少し笑えた。

 

毎日交換される清潔なシーツの上で本を読んで音楽を聴いて、意味だけ欲した。

どうしてみんなそんなにまでして生きているのか、よく分からなかった。今でもそう。

「みんなそんなもんだよ」って言われても腑に落ちなかった。

今でもあの頃と何も変わってはいない。

8.

人がこちらを見て話してくるときは、曖昧な笑みを浮かべ目では無く頬の辺りを見るようにしていた。
目を見て話すと底を見透かされそうで、顔を背けても逃げたと思われそうで。
小さい自分を隠し、肥えに肥えた虚栄ばかりの自尊心を守ることに必死だった。

意味や理由を求めずに、ただ生きていくことが正しいのだとして、そんなの果てしなくて途方に暮れてしまう。
自分の中でこれだけは自分だと思える部分を手放してまで、そうまでして生きなければならないのかと怖ろしくなる。
それでも生きるべきだと、どうにか折り合いをつけるべきだと、私もみんなも知っているから悩むのだろう。

みんなの根っこの方にあるとりあえず生の方へと向かう気持ちは、いつどこで手に入れられるものなのだろうか。
弱い私はすぐに逃げたくなるし、逃げる自分を認めたくないから死にたくなる。
自分の中にある苦しさや恐怖は自身にしか関係が無くて、それを一人で抱えなくてはならないこと、みんながそれを受け容れて生きていることが信じられない。
どうやったらそんな風に出来るの。私はずっとこうしてきたし、他のやり方があるなんて知らなかったよ。


感情は燃え尽きたのか、川底を転がって形を変え続けているのか、いずれにせよ最後には海に溶けてしまえばいいなと思う。
限りなく薄まってくれれば、いくらかは穢さも救われるのではないだろうか。

いつかみんなに謝りたい。

7.

決定的に足りないのは想像力だ。血を流さないとひとつも分からない、痛みもいずれ忘れてしまう。

誰かと話しながら笑いながら、死にたいって言葉ばかりが頭の中を廻る。

昔のように真に迫った希死念慮はなく、言葉だけが先にたつ。なにもないことを認めたくないから、言い訳みたいに僅かばかりの死にたさにしがみつく。

情けなくて恥ずかしくて、自分を辞めたい。それを死にたいと言い換えた。

 

同じことばかりでうんざりしている。変わる気も起こらない、理由も失った。 

こんな私にやさしくしてくれる人に顔向けできないな。

 

もう嫌だよ。この気持ちは本当だよ。